若葉なのに、散る…

西方より悲しいニュースが舞い込んできました。

掲示板の常連さんの「春駒屋」さんのブログ(当サイト未リンクです。スミマセン)によると、春駒屋さんのペットのポニー「萌黄」ちゃんが亡くなったそうなのです。
少し前に体調を崩したらしいことを同ブログで知ったが、その後回復傾向にあるものだとばかり思っていたのでショックでした。

大型動物をペットにするものとして私も決して他人事でない事件です。この週末はこの事が頭から離れる事がありませんでした。

 

そして4月9日

ドームに寝転がってみる青空。この空の下にもう萌黄ちゃんはいません。
萌黄ちゃんにはいつか会いたいと思っていたのですが、結局一度も会うことが出来ませんでした。(すっごくかわいいポニーだったそうです。) 老齢で、いつあちらに行っても不思議ではない年齢ならともかく、まだまだその様な年齢ではなかったはずなのに…。
いつかは会えると思っていたのにその機会は永久に失われました。やはり出会いは一期一会。今日別れたあの人とも二度と会えないかもしれないのです。
明日は決して今日の続きではありません。

そんなことを思っていたら、外から銀じの遠吠えが…。

 

たそがれている場合ではありません。
私は全力でこのコを幸せにしなくてはいけないのでした。

ペットを飼う以上、別れは避けられません。
だからと言って「ペットは死んだとき悲しいから飼わない」 という考えを私は全面的に否定します。(そのようなことを言う人は本当に動物が好きではないのではないかと考えます。であればそんな人に飼われる動物はかわいそうだからこれでよい、とも言えます。)

死ぬのはたったの一回きり。別れはたったの一回きりなのです。
そこばかりを見て、共にすごした、共有した楽しい時間、楽しいばかりでない思い出もすべてひっくるめて心に残るすべてを「出会わなければよかった」と言い切る気に私はなりません。

だけれども失うショックがいかに大きいかも私は知っています。
体の一部をごっそりと持っていかれたかのような感覚、喪失感は確かにつらいものです。
ですから、だからこそ、こういうときは深く強く悲しむべきです。
私はこんなときは、「思いきり声を出して泣く」ことをオススメします。自分の泣く声が自分自身に聞こえることが重要です(音読と同じです)。必要あれば、仕事を休んでしっかり悲しむこと。一度はどうなってしまうかわからないくらいに悲しんで、全身で悲しみを表現してみてください。
体が悲しさを表現することで精神は納得し、結果として守られます。

失ったショックから立ち直れない人も、これから受けるはずのショックを心配して一歩を踏み出せないアナタも考え直してはいかがでしょうか?

楽しいことも、悲しいこともいっぱいあってこそ豊かな人生。積極的な変化は否定してはいけません。

 

気を取り直して、ドームのその後。

靴脱ぎの部分のカーペットをカットし、フタに固定してフタの開け閉めをやりやすくしました。出入りのときの手間がずいぶん省けるようになりました。(手前に裏返っているのがそのフタ)

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