お散歩とは?!

またか…とお思いでしょうが、この週末は三連休であることをあまり意識しないまま週末に突入、どことなく“タラ〜ッ”とした三日間でした。

普段の週末は「アレをやって、それからこれをやって…」と予定を考えて効率よく仕事が出来るようしていますが、この週末はいつもより一日多い休みでしたが特にこれと言った目玉の仕事がないままに過ぎてゆきました。

こんな“タラ〜ッ”とした週末は罪悪感さえ感じます。

 

9月16日

恒例のお散歩です。

先週の写真を使っても同じ!?それをいっちゃ〜おしまいよ!

 

お散歩コース沿いにある家で何かを作っている人たちに見とれる銀じ。
こうしていてもらちがあかないので出発!

 

あ、そうそう。途中こんなものにも出会いました。
キジの雛たち。

写真には三羽写って(見にくくてスミマセン<m(__)m>)いますが、そのほかにも何羽かいたようです。我が家の家の前にある畑を横切っていくキジの雛たちが何度か目撃されています。

 

9月17日

翌17日朝ゆーじ母が銀じのブラッシング中に腕をかまれたそうです。でもかまれたと言っても大したことはなくてちょっとアザが出来ただけです。

それでもかむことは許されません。

そんな時ふと思い出しました。
お散歩の途中、ゆーじ母は銀じを好きなように歩かせていたのではないか?と。

引き手(犬を散歩させる時の“リード”のようなもの)でロバ(もちろん馬も)を引いて歩いている時は、ロバと引き手(ここでは引いている人の意味)との間には主従関係とでも言いましょうか、ある種の緊張感が存在します。

乗馬のうまい人は馬を引いて歩くのもうまいものです。これは単に慣れているということではなくて、「馬をコントロールする」のが乗らなくともうまい、ということです。

ロバ(もちろん馬も)に慣れている人でなければわからないような、あまりに微妙なことなのですが、このことを私はすっかり忘れていました。というか、ある意味当たり前すぎて意識していなかったのです。

 

この日の散歩(初の二日連続のお散歩です!)ではそのことをことさらに意識しながらお散歩してみました。

意識してコントロールする・しないを使い分けてみました。すると、銀じの態度は明らかに違いました。
乗馬する時のように意識を銀じに向けてコントロールしようと引いていると、銀じの体から緊張感が漂ってきます。

 

でもそればかりでは楽しいはずのお散歩はぜんぜん楽しくありません。
メリハリをつけて道草を食う時間も与えました。

私は今回「正しく引く」と言うのを意識の中に取り戻したのですが、これをゆーじ母に求めるのは酷かもしれません。
こうしたことを口うるさく言いたくありません。

銀じとゆーじ母の関係が悪化しないようであればそのままにしようかと思いますが万一、銀じがゆーじ母のことをバカにするようであれば、お散歩で引き手になってもらうのをやめることも考慮しなければならないと思います。

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